今年91歳になる私の母はアルツハイマー型認知症で1年前から要介護2に認定されています。先月私は日本滞在中に本当に偶然な事から母の為の素晴らしいケアハウス、正確にはサービス付き高齢者住宅、巷間では略して(サ高住)と言われている所を見つけることが出来ました。

サンカルナ福岡城南

私にとってこれは天啓とも云うべき発見で、母もそこが気に入り4月28日に入居の運びとなりました。

九州の地方都市と云う事もあり東京に比べたら信じられない程の手頃な料金で申し分ない良質な施設が見つかりました。しかし乍ら家賃に相当する入所費用は一括払いで6百万円、一ヶ月分の食費(一日3食)5万7千円、維持管理が月額8万1千円、食費は全く食べなくても最低基本料金として1万9千円は支払う義務があります。その他に自室でのテレビや電話の回線工事費用と月々の費用は個人負担です。加えて母の場合週3回デイサービスに通っているのでその費用が月額1万7千円追加となります。

幸いに母の場合長年働いて来て得た預貯金が有り、月々の支払いは年金で十分に賄え、私が保証人となりスムーズに入居の許可が出ました。

3年前に私は母の主治医から高齢であり独居暮らしは既に限界が来ているので然るべき施設への入居を検討して下さいと言われ、帰国する度に母を連れてあちこちの高齢者向け住宅を時間が許す範囲で見て回り、アメリカへ戻ってからは今度はケアマネージャーさんが母を連れて見学に行くと云う事が何度も続きましたが、結果としては母が住み慣れた家を出たく無いと云う気持ちが強くどうしても首を縦に振ってくれませんでした。 

この3年間私は年に2回母を訪ね身辺の世話をやっていたのですが、認知症が進み日常生活の中で物忘れが頻繁に起きる様になり既に買ったことを忘れ再び同じものを何度も買っていたり、つい最近では仏様に朝のお線香をあげた時に自分が擦ったマッチを所定の入れ物に入れず、よく消さないまま側にあった屑篭へ入れてしまうと云う事が起き、私が襖を開けると部屋中に白煙が立ち込めキナ臭い匂いが充満しており慌てて窓を開け火消しに追われると云うことになり、たまたま私が居た時で良かったもののこれが母一人の時に起こって居たらと思うと本当にゾッとしました。

こう云った行動面の失敗も目立つ様になり、今までは当たり前の様に出来ていた事、例えば預金通帳の保管場所、ATMでの現金の引き出しの際の暗証番号、現金の管理などが出来なくなり、月日も曜日も分からなくなり、時計を見ても時間が読めず、私や周囲の人から聞かれたごく簡単なことに答えられなくなりました。

先月受けた認知症のテストでは30点満点の8点と云う成績で、医者が私を呼んで説明してくれたことに依れば今後脳が食べると云うことを忘れて眠っている状態が増え死に至るそうです。

今や日本人の4人に一人は高齢者で、日本の高齢化は世界に例を見ない速度で進行して居ます。

介護保険制度が2000年に創設されて今年で17年目に入り、2006年には地域包括センターができ、自宅介護者と地域の医療関係者、介護事業所などを結びつけて、介護が必要な高齢者をその人が住み慣れた地域で見ていく取り組みも進んでおり、母が住んで居ます福岡市では徘徊する高齢者を地域ぐるみで見守る体制が構築されました。

高齢者に提供されるサービスが充実して来た事は確かですが、若しあなたの家族の誰かが認知症になった場合誰が介護をするのか、介護される高齢者の立場になれば住み慣れた場所で最期を迎えたいと思うのも、高齢者の親や配偶者の最後を住み慣れた場所で看取りたいと家族が思うのも自然の感情です。

しかしながら、自宅での介護は生易しいものではありません。 私の場合は母は日本に住んでおり、私はアメリカに住んで居ますのでアメリカに家族を残した状態で年2回の日本訪問となるのですが、70歳の私にとっては所謂老々介護と呼ばれる状態で精神的、肉体的な負担の増加に加え出費の増加となり家族の理解とサポート無しには到底出来ない事です。

若い世代は仕事をしなければいけませんが、親の介護で仕事を休みがちなると結局仕事を辞めざるを得なくなると云う「介護離職」も増えて来て多くのものを犠牲にし、介護で人生を諦める若者も出ることになります。

子供が愛情から或いは義務感から自宅での親の介護の責任を引き受けると介護に関わる時間が一日24時間、1年365日の「労働」となる可能性が極めて高いのです。そんな事分かりきった事と仰るかも知れませんが、私の様に年2回日本に行きたった一ヶ月ほどの滞在の間に介護するだけでも、滞在の終わりの頃は鬱状態になりアメリカに戻って医者から抗鬱剤を貰い、5分おきに同じことを言われイライラし、時間の感覚が無くなった母がとんでもない時間に私を叩き起こし睡眠が十分に取れず体力が消耗してゆくのですから、毎日同じ家で介護を担っている方達は本当に大変な事で「介護殺人」と云う悲劇も起こりうる訳です。兎に角介護には覚悟が必要で、要介護者を労わる強い想いがなければ続かないことです。

進行した認知症を患っている母の場合介護は日本とアメリカとに分かれている為十分な事が出来ない為片方は罪悪感があり、又片方は不満が募り愛情だけでは介護は出来ないのでプロの手に委ねるべきと思います。

介護は本来プロフェッショナルな技術が要求される仕事です。 たとえ家族介護者であっても不断の研修が必要になりますし、家族介護者はありとあらゆる介護責任を負わざるを得ない状態にあります。本来休息に充てる自宅での時間が全て介護と云う「労働」になる可能性が極めて高く、家族介護者には介護施設でプロの介護者が労働者として当然受けられるベネフィットが全く無く精神的にも肉体的にも疲弊してゆくのです。

現在日本では現役世代支援の一環として、出産、子育てのサポートがなされて居て法律化される様になりましたが、これに加えて是非とも高齢になった親、或いは配偶者を自宅で介護している人達にも目を向けて欲しいと思います。

Posted by:ayakopiper