この映画は1960年代にアメリカとソ連の冷戦時代に実際に起こった話をスピルバーグ監督が撮った映画で、当時東西に分断されたドイツで起こった米国とソ連側双方の捕虜交換のニュースは世界中に駆け回り、その頃中学生だった私は日本に居てこのニュースを聞きとても強い感動を覚えました。

主演のトム・ハンクスが弁護士ジェームズ・ドノヴァン役を演じています。このドノヴァンと云う人物は所謂毛並みのいい由緒正しき家柄の出で、父親は外科医、母親はピアノスト、実兄はニューヨーク州の上院議員で両親はアイルランド系アメリカ人で、ハーバードロースクールを出て保険関係を専門とする辣腕弁護士として順風満帆の暮らしをしていたのですが、ソ連の手先となりアメリカの核情報を探るスパイ活動をしていたロシア系アメリカ人フィッシャーの国選弁護人となった事で彼の人生は大きく回転して行きます。

国賊と言われたこのフィッシャーの弁護を引き受けた事でドノヴァン一家は命の危険に身を晒す事になり、当時は法曹界も国民もフィッシャーに対しては殆ど死刑判決が出るものと確信していた時に彼はおざなりな裁判ではなく法の下の平等を唱え孤軍奮闘しますが、職場では上司や同僚から白眼視されながら独断で立ち向かい裁判で禁固30年の判決を勝ち得ています。

余談になりますが、この時最高裁判所に出廷し最終弁論をするシーンでドノヴァンが男性の第一礼装であるフロックコートを着ていましたが、アメリカは極めて厳格な権力分立が図られ立法、行政、司法の三権分立が確立されており、今と違って当時の世相としては最高裁判所の判事に会うと云う事はとりもなおさず国家の最高指導者に会う事を意味し、相分の敬意を表した服装であった訳です。

映画はこれと並行しながらアメリカ空軍軍人であるフランシス・パワーズがU−2偵察機でソ連上空を操縦していた際に地対空ミサイルによって撃墜されパラシュート脱出する事件が起き、又ドイツは東西に分断されると云う歴史的事件が起き当時留学生としてドイツに居たフレデリック・プライヤーが矢張りスパイ容疑で東ドイツ側に拘束され、パワーズは公開裁判にかけられスパイ行為を行っていた事を認め禁固10年を言い渡されシベリアに送られます。

当時ソ連とアメリカの交渉は東ドイツだけが窓口となっていましたが実際にはドイツはソ連の操り人形であった訳で米国側のCIAとKGBだけが交渉の場に出ることが出来たのですが、ドノヴァンが一個人として果敢にもドイツへ向かいKGBの書記官との命懸けの交渉で当時刑務所に収監中だったソ連側スパイであったフィッシャーとアメリカ空軍パイロットのパワーズ、それに留学生だったプライヤーの捕虜交換交渉を成功させ1962年2月10日当時の東ドイツのグリーニケ橋でそれが成就され世界中へその快挙の報が流れました。

後年ドノヴァンはその功績を買われてケネディー大統領時代にキューバとの紛争の交渉役として派遣され獄中に居た1,163名の米国人の解放を成功させています。当時カストロとも会って会談を持ち、ニューヨークに在ってはキューバ出身の貧しい人々への無料法律相談をやりカストロから賞賛されると云うエピソードも有ります。

その後の3人の人生はドノヴァンの功績で大きく変わり、ソ連側スパイであったフィッシャーはソ連に戻り家族と共に静かな生活を取り戻し、当時大学生であったプライヤーは母校イエール大学の経済学教授となり、空軍パイロットであったパワーズは撃墜された時に自爆装置を用いて自らの命を処分すべきであったとの批判があり、国の機密事項を漏らしたのではないかと疑いを掛けられましたが、上院軍事委員会で彼は重要な機密は一切ソ連側に洩らしていないと判断されています。

私がカリフォルニア州に住み始めた1970年代に、このパワーズはテレビのお天気レポーターとしてヘリコプターに乗って毎日画面で活躍していたのですが、ある日ヘリコプターの事故で墜落し1977年に亡くなっています。

振り返れば私が将来学校で法律を専攻する事になるきっかけは米ソ冷戦下でのこのドノヴァンの快挙のニュースを聞いた時から芽生えていたのではないかと思う事があります。

今は東西を隔てた壁は取り除かれ人々は自由に行き来が出来る様になりましたが、この様な時代が来る事を当時の人々はどれ程渇望した事でしょう。命懸けで脱出を試み命を落とした沢山の人々の事を思うと、現代の様に首までどっぷりと平和ボケに浸かって暮らしているのが申し訳無い様な気持ちになります。

Posted by:ayakopiper